2007年03月28日

◆一人ひとり 【アミの一口コラム178】

こんにちは。
アミです。

石川県の皆さん、本当にたいへんでした・・・。
私も、テレビを見ながら、あんじておりました。
被害の状況は、いかがでしょうか。
お体は、大丈夫でしょうか。
大変な時ですが、ご無理をされませんように。
早く、もとの生活に戻れるようにお祈りいたしております。


◆一人ひとり 【アミの一口コラム178】◆

《卒業生が遊びに来た》

今日、子どものいない学校で、アミは特別教室の片付けをしていました。
すると、下のほうから、足音が聞こえてきました。
ふっと、顔を上げると、私のクラスだった3人の女の子が立っていました。
私は、声をかけました。

ア  ミ 「あら? 遊びに来たの?」
女の子達 「うん。」 
※笑顔で答える
ア  ミ 「楽しそうね。教室の鍵、開いているから、入ってもいいよ。」
※ 女の子達、楽しそうに教室に入る。

※ しばらくして、女の子が携帯をもって、アミのところに走ってくる。
女の子  「先生、A君が携帯にかわってって!」
ア  ミ 「うん、いいよ。どれどれ・・・(珍しいなあ。あんなに口べただったA君が・・・)。」
 ※しばらく、アミは、A君と話す(殆ど、アミが尋ねてA君が答える形)。
ア  ミ 「・・・・、A君、暇なら、学校に遊びにおいで!」
 ※30分後、A君が飛ぶようにして学校に現れる。
ア  ミ 「遊びに来たんだね!」
A  君 「うん。」
※笑顔で答え、女の子達のいる教室に入っていく。

 ※アミ、おやつを教室にいるA君と女の子達に差し入れる。
 ※かなり、長い間、A君と女の子達は、教室でしゃべっていた様子。
(今まで、「俺は、男だ!」という感じで男の子としか付き合いがなかったA君が、女の子と一緒に話すなんて・・・?)

17時になったので、教室の鍵を閉めに行きました。
ふっと見ると、黒板に貼ってある掲示物に、「A様」と、自分の名前をA君が落書きしていました。

『ああ、やったなあ(A君は、壮絶な1年になったおかげ?の中心人物の一人。
いつも、過激ないたずらをしていました)。』

と、アミは、思わずため息・・・。

そして、ふっとその掲示物の上の方を見ると、

「最高! 6−2(6年2組)」

と、書いてありました。

アミは、それを見て思いました。

「まっ、落書きぐらい、いっかあ。
私からおやつもらっても、『ありがとう』のひとこともなかったけれど、
まあ、いっかあ(しかたないかあ・・苦笑)。」

と、思いました。

なかなか厳しい状況の子ども達が多いクラスでした。

でも、壮絶・・・の中心人物の一人で6年の最初はほとんど口も聞かなかったA君や、6年の最初は打ち沈んでいた女の子達が卒業してからも、ふらっと学校に遊びに来てくれることだけでも、うれしいです。

たしかに礼儀正しくないところもあるし、上手に話もできないし、ルールも破るし・・・。
・・・でも、私にとっては、かわいい子ども達です。


◆編集後記◆

子どもの表面の反応や性格だけを見て、子どもを判断をしてはいけないことが、今年1年間の担任生活を通して、よく分かりました。

礼儀正しくできなくても、言葉が多少乱暴でも、見た目がとても暗くても、意地悪く見えても・・・。

その子達に、
「『あの子は、×××だから』というレッテルを貼ってはいけない」
ということを学びました。

(本当は、アミ的には、礼儀正しくない、ルールを守れない、波動が暗い・・・などについては、とても???で、耐えられない面があるのですが・・・。)

「その子のうちに眠っている(眠ったままの?)光見つめて、その子のよさを引き出すように言葉をかけ、手をかけ、愛情をかけてあげなければならない」

ということを学びました。

学びの多い1年間でした。



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2007年02月11日

◆どんな心をもっていても 【アミの一口コラム176】

こんにちは。
アミです。

マラソン大会の続きです。


◆どんな心をもっていても 【アミの一口コラム 176】◆

マラソン大会の結果を発表します。

(1)運動能力抜群グループ
堂々、圧倒的第一位。
或いは、ほとんどの子どもが10位以内。

(2)苦しいことはしたくないグループ
そこそこの成績。

(3)マラソンが苦手グループ
最後尾のグループの中で一人で走る。

(4)真面目に練習をしていた子ども達のグループ
○ 自分の本来もっている実力の順位。
○ 運動能力抜群のグループの子どもが自分より前に来たために、順位が落ちた子どももいる。


【マラソン後、アミが教室で子どもにかけた言葉】

《教室で》

みんな、力一杯頑張ったね。

マラソンが早かった人、よく頑張ったね。
あなたたちは、他の友達がゆっくりしている時も、スポーツティームで、遅くまで頑張って苦しい練習をしているよね。
他の人の何倍も走りこんでいるよね。
だから、本番で実力が出せたんだよね。
普段の苦しい練習があればこそだよね。
今日は、力一杯走れたね。
力が出せてよかったね。

練習を真面目にしてきたけれど、思うように結果を出せなかった人も、よく頑張ったね。
学校の先生達は、「順位」だけが大切とは考えていないよ。
学校の先生達は、「普段の練習の態度」も大切と考えているよ。

みんなが気付かないだけで、みんなの練習風景をいろいろな先生が見ていたよ。
あなた達が真面目に練習をしている姿を他の先生方もちゃんと見ていたよ。
「○○さんは、真面目に走っていたね」
と、アミ先生に話していた先生もいたよ。

今日、△△さんは、途中でリタイアをしたけれど、あなたが普段、精一杯練習をしていたことを先生は知っているよ。
今日は、普段以上に力一杯頑張ったから、続けられなくなったんだよね。
でも、アミ先生は、あなたのがんばりをちゃんと知っているよ。

・・・教室の中に、ほっとした空気が流れました。

《廊下で》

※ 練習の時は、いつも1位だったA子に声をかける。

あなたは、練習の時、いつも力一杯走っていて、1番だったよね。
でも、今日は、スポーツティームの人達が1〜3位までになったよね。
でも、練習の時の1位は、あなただったのよ。
あなたが、一番、練習の時、がんばって走ったのよ。
先生は、分かっているからね。

・・・A子は、にっこり笑いました。


◆編集後記◆

「道徳的に?スピリチュアル的に?(アミ的には)???な考え方・心のもち方」
をもっている子どもは、多々います。
子どもの考え方に
「?×10」
「?×100」
ぐらいの疑問をもつことも多々あります。

でも、どんなに?が100個あろうが、1000個あろうが、人は愛されて育たなければなりません。
?が100個ぐらいの子ども達の家庭環境や生い立ちには、やはり厳しいものがあります。
子どもも、好きで、?が100個になったのではないのです。

教師も親と同じです。

「どんな心をもっている子どもでも、愛し続けなければいけない。
その子のよさや魂の本質にある輝きを見つめないといけない」
と、?なできごとに遭遇し、常にテンションが下がりかかる自分に言い聞かせて、毎日生きています。



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2007年02月06日

◆みんな、それなりに精一杯生きている? 【アミの一口コラム 175】

こんにちは。
アミです。

今日、学年合同でマラソン大会に向けて、マラソンの練習をしました。
とっても、疲れました・・・。

◆みんな、それなりに精一杯生きている? 【アミの一口コラム 175】

疲れた原因は・・・。

真剣に走らない子ども達が何人もいるのです。
真剣に走らない子ども達のグループ分けを紹介します。

(1)運動能力抜群グループ
「あまりにも、他の子ども達と能力差があり、ばかばかしい?」もしくは、「本番に備え、体力を蓄えておく?」ために、練習は適当にし、本番だけ真剣に走ろうという子ども達。

(2)苦しいことはしたくないグループ
そこそこ走れるのだけれど、苦しいので真剣には走らない子ども達。

(3)マラソンが苦手グループ
マラソンが苦手で、互いをかばい合って最後までゆっくり一緒に走る子ども達。

これらのグループの人数は、全体の4分の1ぐらいでしょうか。
後の子ども達は、まずまず走っています(そんなに精一杯走っているのではありません)。

いくら、私が
「力一杯走るよ。ゆっくりでもいいから、なるべく歩かないでがんばろう!」
等と励ましても、なかなか力一杯は走りません。
4分の1程度の子どもは、歩いているか、ゆっくり小走り程度です。
後の子ども達は、ゆっくり様子を見ながら走っています。
家の人が見に来る本番のマラソン大会では頑張るのでしょう。
でも、練習では力一杯走らないのです。

私は、自分の指導力のなさ?と子どもの心に対する情けなさで一杯でした。

「マラソンの練習が終わった後、教室に帰って子ども達に小言の1つでも言わなければ」
と思いました。
マラソン終了後、教室に入り、子ども達の顔を見ました。
小言の1つでも言おうと考えていた私の口から、次のような言葉が出ていました。

「みんな、苦しいのは分かるよ。先生も、小学校の頃、マラソンは苦手だったから。
でもね、先生の子どもの頃は、マラソンが苦手な人も、みんな力一杯頑張っていたよ。
先生の頃は、学校の裏にある山を登って降りてくるというものだったよ。
もう、地獄だったよ。ものすごく苦しかったよ。
でも、どんなにマラソンが苦手な人も、力一杯走っていたよ。
みんなも、苦しいのは分かるのだけれど、力一杯頑張ろうね。
苦しくても、頑張り通すことが大切なんだよ。
本番で『家の人にいいところを見せよう』と思って走るのもいいけれど、
『練習で一生懸命にできなかったから、(反省して)練習の分まで本番で頑張ろう』
と、思って走ってくれるといいなぁと思います。
本番では頑張って走るのよ。」

と。

子ども達は、黙って聞いていました。
どう思ったか、どう感じたかは分かりません。

私は、本当は、もっと、強く言いたかった。
でも、子ども達の顔を見ていると、なぜか強い言葉が出てこなかった。

子どもの顔を見たとき、私は、思ったのです。

「(マラソンは、力一杯走れない子達だけれど)この子達は、この子達なりに精一杯生きているのだろう。
好きで『苦手なことから逃げる性格』『少しでも楽をしようとする性格』に、なったのではない。
この子達の家庭の保護者は、みんな生きるのに精一杯で、この子達一人ひとりに『頑張る力』『忍耐力』『克己心』等を養ってこれなかったのだろう。
私も、2学期間でそのような力を養う指導までには至らなかった。
そのような子ども達に、頭ごなしに注意しても、決して言葉は心に届かないだろう。」
と。


◆編集後記◆

今、担任している子ども達は、1学期当初、大人(私)に対して石のように心を閉ざしていました。
それがやっと、2学期間かけて、心が解きほぐされつつあります。
最初は、ニコリともせず無表情だった子ども達が、最近は大きな声で笑い、はしゃぐようになりました。みんなクラスが楽しいと言うまでになりました。

本当は、私的には、もっともっと厳しくして鍛えたいのです。
世間は甘いものではないからです。
でも、今それをすることは無理強いになるだろうと、感じました。

「私から見れば、???な言動をする子ども達でも、厳しい生活の中、その子達は、その子達なりに精一杯生きている。
一歩にもならず、半歩ずつかもしれないけれど、少しずつ進むしかない。」
と、思いました。

このような考え方は、「甘い」と、指摘されるかもしれません。
本当は、もっと、厳しくして「やり直し! 力一杯走れ!」等と、強い指導に出ればよいのかな・・・とも思います。
でも、今の私にはこの考え方しか浮かばないのです。

いつも、心で葛藤しながら日々の教育にあたっています。
教育現場は、社会の縮図です・・・。


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2006年12月09日

◆アミのひとり言 【アミの一口コラム171】

◆アミのひとり言 【アミの一口コラム171】◆

みなさん、こんにちは。

いつも、心温まるコメントをありがとうございます。
アミも、元気をみなさんからもらっています。

今日、コメントをくださった方も言われていましたが、確かに教師も参っている方が多いです。

「担任は、教育委員会、保護者、校長、そして、子供たちの間に立ち、全てを背負って歩まなければならない・・・。」

という感じになっているような気もします。

「朝、ため息とともに、学校はいり、夜、ため息とともに学校を出る」

と、ある先生は言われていました・・・。
でも、それを聞いていた他の先生方も、みんな、そうそう、「納得・・・」という感じでした。

社会のしわ寄せは、一番、弱い子供たちに出てくるのかもしれません。
そして、その子供たちと向かい合う最前線が「学校現場」です。

「先生達は、できて当たり前、落ち度が少しでもあれば、すぐ責められる。
時には、マスコミまで入り込み、大騒ぎになる。
何かことが起これば、弁解無用で、誤り、対処するしかない。」

という現実も多々あります。

マスコミが報道しているような???な教師も確かにいるのでしょう(私の知っている限りでは、そのような教師は心当たりがないので、このような表現になっています)。
でも、その他大勢の教師は、みんな真面目で必死でがんばっています。
私の周りには、熱心で真面目な教師がたくさんいます。

「教師の悪い面ばかりではなく、がんばっている面も知ってもらえたら、うれしい」
と思います。

でも、アミ個人には、

「いつまでも、悩まない、落ち込まない!
切り替え、切り替え!
常に明るく、笑顔で!
もっと、教師力、人間力を高めろ!
限界まで、努力しよう!
アミには、悩んだり、ストレスを受けたりする時間はない!」

等と、言い聞かせています。

アミがつぶれたら、学年や学校がたいへんな状況になるので、今は、
「やるしかない!の世界」
です。

元気のある教師は、その余力で、同僚を支えたり、子どもを助けたりしています。

もう、現場では、みんな必死の状況です・・・。



◆編集後記◆

・・・と、多少、ぐちっぽいことも、つらつらと並べてしまいましたが、

「どんなに大変でも、切り替えが大切だ」

と思います。

アミは、忙しい合間をぬって、体力、気力の限界に挑戦しながらも、けっこう遊んで(飲んで?)います。

「自然力仲間」「勉強サークル」「ご近所」
の方々とホームパーティーなどをすることもあります。
でも、圧倒的に多いのは、主人と飲みに行くことです。

今から、主人といきつけの居酒屋に行って(お上さんが、きれいで、さわやか、サービスがいい)、その後、カラオケに行きます。

「学期末というのに・・・。」
と、思いますが、
「なんとかなる!」
と、言い聞かせ、行ってきます(苦笑)。

それでは、バスの時間になりますので(飲酒運転は、ゼッタイにしていません笑)、行ってきます。
posted by 女教師アミ at 19:55| Comment(4) | TrackBack(0) | 教師 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

◆見えないところを見る 【アミの一口コラム170】

こんにちは。
アミです。

皆さん、お元気ですか?

◆見えないところを見る 【アミの一口コラム170】◆

私のクラスにとっても元気が有り余り、危険な遊びが大好きで、いやなこと、納得しないことはしたくないというA君がいます。

先生から見ると、本当に「困ったなあ・・・」という感じです。
最初は、私も、「困ったなあ・・・」と、思っていました。
でも、「困ったなあ・・・」と、思いながら指導していると、なかなかうまく指導ができません。
指導すれば、するほど(注意する回数が増えれば増えるほど)、事態は改善せず、悪くなる一方です。

「こりゃ、だめだ!」
と、私は、思いました。

「A君のもっと、心の奥深くを見つめてみよう」
と、思いました。
でも、A君の口は重いのです。
A君は、なかなか本音を言ってくれません。
それで、A君のお母さんから情報をもらいました。

A君は、
「悪いと分かっていても、どうしようもないんだよ。がまんできないんだよ。」
「先生は、僕が悪いことばかりする子だと思っているだろうけれど、僕だっていいこともしているんだよ。」
などと、話しているそうです。

アミは、思いました。
「そうか・・・。
A君は、(将来を有望視される)スポーツマン・・・。
そういう子どもっていうのは、個性やエネルギーが強くて、子ども時代は、性格的にでこぼこが多いと聞いたことがある。
エネルギーをいい方向に発散させてあげられるように努力をしなければ・・・。
あまり、『どれもだめ、あれもだめ』と、注意しまくるのはよくないのかも・・・。」
と。

また、A君のお母さん情報、他のお母さん情報で、A君のよさが、新たに分かってきました。

あるところで、いじめのようなことがあっていて、その当事者達を呼んで、事情を聞いて、いじめていた子どもに謝らせ、問題を解決したというのです。
それに似たようなことが何件かあったようで、それをA君が解決していたのです。
A君は、決してそのようなことは、私にも、周りにも言いません。
お母さんだけに言っていたようです。

クラスの中でも、いじわるをしていた男の子に
「やめんか!そんなことをしたら、かわいそうだろう!」
と、注意をしている姿を見ました。

う〜〜ん!
A君、きまりも派手に破って、目だってくれるし、私の費やす労力はすごいものがあるんだけれど・・・。
A君、心根は、とっても、いいものをもっているんだよね・・・。

アミの心の中は複雑です。

でも、言えることは、
「たいへんなこともあるけれど、A君がクラスにいてくれてよかった。
子供達のためにも、私のためにも。」
ということです。

「A君旋風」は、激しいのですが、A君は、子供達や私の心を磨いてくれます。
そして、大切な何かを私に訴えかけてくれているような気がします。

私は、今、必死でA君を愛し、他の子供達を愛する努力をしています。
「愛」は、口だけでは伝わりません。
「愛」には、「行動」が伴います。
(「深い想い」があれば、「想い」だけでも伝わることもあります)


◆編集後記◆

人は、目立つところだけを見て、「レッテル」を貼ってしまうことがあります。

今、子供達は、とっても難しいです。
「?が10個ぐらいつきそうな子ども」がたくさんいます。
でも、?が10個つきそうと言っても、
「その子 = ?10個の子ども」
ではないのです。

たまたま今、目の前に自分の目に見えるその子に関わる情報が「?10個」というだけなのです。

もっと、もっと、その子のことを知れば、「?10個」以外に、「○」も、1、2個ぐらい見つけられます。
たとえ、○が見つからなくても、「?10個」にならざるを得ない抜き差しならない理由が見えてきます。

相手を愛そうと思えば、相手をいろいろな面から見て、「知る」ことが大切なのかもしれません。

知るためには、「時間」「エネルギー」が、とっても要ります。
でも、目の前に「愛するべき人」が出てきた時は、やはり、
「知る努力をしなければならない」
と、自分に言い聞かせています。

「愛」にかかわる勉強は、一生続きそうです・・・。


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2006年10月06日

◆見捨ててはいけない!【アミの一口コラム165】◆

こんにちは。
アミです。

アミは、どうしてもなかなか現実と離れたことが書けず、今、現時点のことを書いてしまう傾向にあるようです。
今は、学校の子供達のことで頭がいっぱいなので、子供達のことばかりになります。
ごめんなさい。
自分の心に言い聞かせるつもりで書いているのかもしれません。

でも、「クラスの中のこと」では、あっても、これは、一般の大人の社会にも通じるところがあるかもしれません。
もし、何かの参考になればうれしいです。


◆見捨ててはいけない!【アミの一口コラム165】◆

今は、どこのクラスにも???の子どもさんや親御さんがけっこうたくさんおられます。
昔は、特別に指導・支援をしなければいけない子どもさんは、1クラスに1人か2人だったように感じます。
ところが、今は、1クラスに何人もいます。
現場は、パニック状態的になっているところもあります。

アミのクラスにも、かなり指導・支援が必要な子供達が数人います。
1人は、
「アミが、母親役、カウンセラー役、生活支援者的役割にならなければならないA児」
です。

後の2人は、よく言えば、
「元気で、活発、活動的」
課題を言えば、
「傍若無人、わがまま。厳しく注意をすれば、弱い者いじめに走るB児、C児」
です。
その子達に対しては、アミは、母親、父親役にならないといけません。

A児は、クラスをかき混ぜたり、ルールを破ったりする子供ではありません。
ですから、母子共々の指導・支援で、時間と神経を使いますが、アミにとっては、精神的には、あまりストレスを感じません。

問題は、後者のB、C児です。
クラスの中でも、わがままな振る舞いが目に付きます。
厳しく注意をすると、他の弱い子供に八つ当たりをしたり、よりいたずらが激化したりするので、気を使います。
周りの子供達も、かなり、B、C児には、気を使っています。

アミは、このような子供達を含めた自分のクラスの指導・支援でくたくたになっていました。
あまりにもへとへとになったときは、つい、

「ああ、この2人がもし、アミのクラスではなかったら、クラス経営はもっとうまく、スムーズにいっていたかも知れない・・・。
他の子供達も、もっと伸び伸びと自分を出せたかもしれない」

と、思ってしまうこともありました。

アミがそのような思いは、いつの間にか、2人の子供に伝わってしまっていたようです。
2人の子供達の行動は、いっこうによくなる傾向が見られませんでした。

1学期の終わりのあたり、もう、アミは、へとへとになりました。
この2人の子供達の心は、アミから、離れていくような気がしました。

夏休みに入り、気を取り直したアミは、
「このままではいけない。」
と、思い返しました。
そして、反省しました。

「自分は、この2人の子供達を言葉では、受け止めているように言っていた。
でも、心の中では、この子達を拒絶していたのではないだろうか?

たとえ、どんな子供であれ、絶対に自分のクラスからはじき出してはいけない。
担任のエネルギーをどんなに吸い取ろうとも、その子達をうとんじてはいけない。
心の中で、その子達を嫌ったり、排除したりしてはいけない。
自分にとって、都合のいい子供だけをかわいがってはいけない。」

と、思いました。

2学期になって、その2人の子供の心を受け止めようとし始めてから、アミの心は落ち着いてきました。
笑顔で注意する?叱る?こともできるようになりました。
冗談っぽいことも言えるようになりました。

※最初の頃は、切れかかった自分の感情を抑えるので精一杯でした。
顔が若干、引きつっていたかもしれません。
冗談もなかなか言えませんでした。

その子達も、わがままな言動は、相変わらずなところがありますが、以前よりは、かなり、改善してきた面もあります。

私のことも、少しずつ信頼してくれ始めているように思います。


◆編集後記◆

アミも、いろいろな子供とのかかわりを通して、勉強をさせられているような気がします。

子供は、大人以上に、ストレートに自分を出してくることが多いです。
高学年になると、まさに、大人社会の縮図を見るような思いがします。

個性???というのでしょうか・・・。
いろいろなお子さんがおられます。

でも、どんなタイプの子供でも、どんなに担任を悩ます子供でも、
「絶対に、見離してはいけない」
と、思いました。

困る面ばかりに目を向けず、その子のよさを見つめなければなりません。

「愛してあげて。
あなたの手の中から、外へ離さないで。
苦しくても、じっと、待ってあげて。
その子が成長するまで。」

と、今、アミは、自分に強く言い聞かせています。

時々、ふっと、感情が切れそうになります。
でも、切れたら負けです。
子供との闘いと言うより、自分との闘いと言った感じです・・・。

「愛に飢えた子達」が増えてきているように思います。
その子達にまず必要なものは、「形式面からだけの叱責や注意」より「愛」と、「愛ある言葉」なのかもしれません。



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2006年05月13日

◆気付く人・気付かない人 【アミの一口コラム 130】

こんにちは。
アミです。

やっと、金曜日になりました!
もう、運動会の練習で、へろへろです(苦笑)。

昨日も、コメントのお返事を書きながら、眠ってしまい、途中になってすみません。
今日は、記事のアップで終わってしまいました。
明日、また、コメントのお返事の続きを書きますね。

みなさんの「心磨き」のがんばりのおかげで、コメント欄が充実しています。

※「充実 = いいコメント、成功体験ばかり」では、ありませんよ。
充実 =「成功体験」「失敗体験」「体験や経験からでた意見や考え」です(お気軽にコメントをくださいね!)

みなさん、真摯に自分と向き合ってがんばっていらしゃいます。
皆さんのコメントがアミのいろいろな考えを引き出してくださっています。
ぜひ、メインのアップ分のコメントだけではなく、「過去のコメント」もお読みいただければうれしいです。
コメント欄には、「一人一人違う個性的な人生」が描かれ、「愛」もそこはかとなく流れています。
とても、勉強になります。
コメントを書いていて、「皆さんに読んでいただきたいなあ」と思うコメントがたくさんあります。
過去の記事にも、コメントがどんどん付け加わっています。

記事のアップがない日は、第2ブログであるコメント欄を読んでいただけると、うれしいです(記事をアップしない日は、ほぼ、コメントのお返事を書いていることが多いです)。


≪お願い≫


最近、みなさんのおかげで、コメントが増えてとてもうれしいです。
また、読者の皆様同士の交流も活発に行われています。

ただ、コメントが増えているので、若干、「どなたのコメントがどなたに当てたものかが」見にくくなっています。

それで、より見やすくするために、前回お願いしましたことに付け加えてお願いなのですが、

アミ宛にコメントを書くときも、コメントの最初の文に
<アミさんへ>
と、書いていただくと助かります。

コメントの返事を書くのが、深夜、明け方になることも多く、しょぼつくアミの目が大切な皆さんのコメントを見落とすといけませんので、ご協力をよろしくお願いいたします。



◆気付く人・気付かない人 【アミの一口コラム 130】


今日は、ちょっと話は変わって、B先生のお話をしようと思います。

今から、数年前、B先生とアミは、「誰も持ちたがらなかった6年生の担任」をすることになりました。

アミは、
「もうこの年になったら、イヤとは言えないよね。」
という感じで、管理職も困っているようでしたので、担任を引き受け、学年主任をしました。

B先生は、若かったし(まだ、20代)、男性でしたので、白羽の矢が立ちました。B先生は「人がいい」ので、気は進まなかったようですがOKしたようです。

ということで、アミとB先生の苦闘の2人3脚の1年間が始まりました。

みんなが担任になりたがらないだけあって、アミのクラスも、B先生のクラスも、家庭環境が厳しく、子ども達もかなりたいへんでした。

アミは、教職ウン十年のキャリアとスピリチュアルな知識などを駆使して、何とか学級をおさめていきました。

でも、やはり、教職数年のB先生にとって、かなりこの学年の担任はつらかったようです。
特に、「複雑で厳しい環境に生きる女の子達」との関係が難しかったようです。
でも、B先生は、まじめで前向きなので、一生懸命に何とか女の子達との関係をつくろうとがんばっていました。

「B先生は、人が嫌がる6年の担任をもってくれたのだから、アミは、学年主任ということもあるし、精一杯バックアップしよう」
と考え、アミは、よく相談にのったりアドバイスをしたりしました。

ある日の、「B先生とアミとの会話」を書いてみます。

≪アミ≫
「どう?B先生、○子ちゃん(○子はB先生に反発していた)とはうまくいっている?」

≪B先生≫
「はあ、僕はがんばっているのですが・・・。どうも、うまくいきません。
どうも、○子は、僕を避けているみたいです。」

≪アミ≫
「○子は、B先生が嫌いというより、思春期独特の感性や、父親に対する複雑な心境が影響しているのよ。
B先生のことを男性として意識しているのよ。」

≪B先生≫
「僕が何を言っても反発するんです。」

≪アミ≫
「そう・・・。
言ってもだめなら、○子に、自分の好きなことを一つでいいから、日々、没頭できるようにさせてはどうかしら?
例えば、○子は、お花がとっても好きだから、ベランダに○子の好きな花をたくさん育てさせてはどうかしら?

人間というのは、一つの方向にしか物を考えられないものよ。
前向きな活動に日々、没頭させれば、マイナス的な考えは起きにくくなるわよ。
根本的な解決ではないけれど、○子との関係をこのままにしておくと、ますます悪化することになるわ。
少しでも、取れる手立てはとったほうがいいわよ。」

≪B先生≫
「はい、そうしてみます。」

≪アミ≫
「B先生、先生は今まであんまり今まで苦労というのをしてきてないでしょう(教職試験にも一発でとおり、いろいろな面で恵まれている状態)。
学生時代まで、いつも明るく、元気で、友達も多く、けっこう人気者だったでしょう。」

≪B先生≫
「はあ(肯定)。」

≪アミ≫
「○子は、先生の育った環境とは、正反対。
おとうさんは、・・・・。
お母さんは、・・・・。
そして、○子は、・・・にも行かされ・・・・。

○子は、年に似合わず、並々ならぬ苦労をして生きてきているから、大人の目ももっているわ。
彼女は、教師の本心を見抜き、一人一人をちゃんと値踏みしているのよ。
B先生のことを○子は、ある意味で見抜いているようなところがあると思うよ。

だから、B先生が目先のテクニックや言葉だけで○子に接しても、すぐ、○子に見抜かれしまうのよ。
遠道のようにあるけれど、B先生が今から、いろいろなことを勉強して、自分自身を高めていかないと、○子は、心を開かないよ。

100%の効果を挙げようとは思わなくていいわ。
その代わり、70〜80%の効果を目標にがんばったら?
がんばらないと、効果は、40、50%になるわ。
でも、必死で努力すれば、それが70〜80%になるわ。

できるところをねらって、必死で努力するといいんじゃないかしら。
B先生が必死で努力すれば、その努力している姿勢だけは、○子に伝わるわよ。」

≪B先生≫
「確かにそうですよね・・・。」

≪アミ≫
「ところで、B先生、体調はどう?」

≪B先生≫
「実は・・・。僕、最近、食欲がなく、胃が痛むんです。
病院に行ったほうが、いいかなあ。」

≪アミ≫
「病院に行ってもいいけれど、それって、精神的なものが大きいと思うよ。
B先生、がんばろうね・・・。
あのね、もし、B先生のクラスを『他の若い先生方』がもたれても同じようなことになると思うよ。
みんな、今、元気に楽しそうにクラス担任をしており、B先生だけが悩んでいるみたいに見えるけれど、決してそうではないのよ。」

≪B先生≫
「・・・?」

≪アミ≫
「他の人は、『6年担任をもたない』って言ったでしょう。
それは、自信がないからよ。
そういう人が担任になったら、きっと、また、問題が起こるのよ。

今、彼女達は、自分の指導がベストのように楽しく担任をしているけれど、アミには、そうは見えないの・・・。
彼女達は、きっと、この先、つまずくわよ。
A先生は、・・・の点で。
C先生は、・・・の点で。
etc.

でも、彼女達は、自分の指導について問題意識をもたざるをえないような大きな困難に出会っていないし、出会っていたとしても、『根本的に自分のどういう指導の仕方がまずかったかた、そうなったのか』が分かっていないので、同じことを繰り返すわ。

それに、比べ、B先生は、自ら困難に飛び込み、苦しんでいる。
そして、方法を模索しているでしょう。
それと、今年は、B先生の横には、ラッキー?にも、うるさいおせっかい焼きのアミ先生がついているでしょう(笑)。

チャンスと思って、アミおばさんの知恵を拝借しながら、1年間、自分の指導方法(考え方)を振り返りながら、がんばったらどう?
私も、力になるわ。
この困難を乗り越えれば、B先生は、大きく課題をクリアーしたことになり、この先、何十年も教師をしていくうえで、きっと、ためになるわよ。」

≪B先生≫
「僕、今までの性格で困ったことないし、返って得をしていました。
だから、別に問題と思ったことはありませんでした・・・。」

≪アミ≫
「B先生には、B先生のよさがあるわ。
別にそれを否定するわけではないのよ。
よさはよさとして伸ばしていくの。

でも、教師には、教師として必要な資質があるの。
それは、養っていかないと、これから先、困るのは自分よ。
もっと、自分を深く見て、自分を知らないと、人(子ども)の心を深く知ることはできないのよ。

教師は、人間相手の仕事でしょう。
だから、『人の心』を知らないと、仕事にならないのよ。」

≪B先生≫
「ふ〜ん。なるほど・・・。確かにそうですね。
僕、がんばってみます。これから、いろいろ教えてください。」


◆編集後記◆


≪B先生について≫

B先生は、はっきり言って、それまで、とても順調だったのです。

B先生は、
「明るく、さわやか、元気、活動的、スポーツ大好き、仲間でわいわいがやがや大好き、世話好き、仲間の中の中心的存在・・・。」
等のよさを備えていました。

反面、
「人(自分)の心のひだまで触れることなく、人(自分)を表面的にしか見れない。
苦しいもの、端っこにいるものの気持ちや感情を理解できない。
教師(人間)としての信念、思想をあまりもっていない。
或いは、若くして、自分の考えに凝り固まっている。
自分が正しいと思い込んでいる。
人の意見や考えを心底からは聴いていない。
自分が理解できないものに対して、真正面から向き合わず、引いてしまう。
自分が中心で、人を生かすことができにくく、自分ができるのでなんでも自分がやってしまおうとする。
(自己中心的な)お世話好き。」
等の課題がありました。

B先生は、若く、今までの経験が少なかったため、自分の課題がはっきり出てしまう環境に置かれていなかったのです。
しかし、仕事を通して「自分の課題」に向き合わざるをえなくなったのです。

でも、アミの目から見れば、B先生はラッキーです。
自ら困難に飛び込んだことで、自分の課題がはっきり見える状態になり、横に、アミのようなうるさい世話好きなおばさんがおり、横でごちゃごちゃ言ってくれる環境があったからです。

アミの年代は、現場では、もう若い先生を指導していく立場です。
でも、なぜか、「昔アミが受けてきたような先輩が後輩を指導していくというようなこと」がほとんど行われなくなっています。

アミは、おせっかいのようなタイプに見えるかもしれませんが、本当は、全く違います。
アミは、独りが好きです。
「人は人。自分は自分の世界」が好きです。
でも、「自分だけよかったらいいのか・・・。」
と、いうことです。

主人から、
「人から嫌がられても、その人にとって(将来のことも考えて)、本当に必要なことであれば、きちんと教えてあげることの大切さ」
を、教えてもらいました。
だから、これも、アミの修行課題の一つと思って、取り組んでいます。

若い先生は、優秀な人が多く、「アドバイスなど必要ないのかな・・・」とも思います。

でも、アミには、
「頭は優秀だけど、器が狭い?
明るく、軽く、物事を表面的にしか見れない傾向が強い。
強いものには巻かれろ的傾向が強く、課題や問題から逃げる傾向が強い先生方」
が増えているような感じがします。

今からもっと増える心病んだ子ども達に対して、「愛ある適切な指導」が難しいのではないかと、とても危惧しています。

でも、自分が「エリート的人生を歩んでき、自分の心と深く真正面から向き合ってこなかった若い先生方(のみではありませんが)」は、『自分が想像もできない苦しい環境に置かれ、心病んでいる子ども達の心の傷』などを理解できるはずもありません。
また、そのようなことにも気付いてさえいません。

私は、B先生に言いました。
「B先生、先生が、○子と同じ経験はできないし、気持ちを理解しがたいことはわかる。
だったら、日曜日に、大きな書店に行って、心病んでいる子どもの実態等が書かれている本が今は山ほど出ているから、それを買って、読んでみたらどう?例えば、・・・。」
と。

B先生は、まだ、よいのです。
6年担任を拒んだ他の若い先生方・・・。
その方々の未来の苦労がアミの目にははっきり見えています。

≪自分が見える環境に自分をあえて置く≫

アミは、いつも思います。
「苦労しているときより、順調な時に注意する。
順調な時こそ、注意深く自分の心を見つめる。」
と。

でも、人間、どうしても安きに流れます。
順調なときには、「自分の心」を深く見つめることは、なかなかできません。

だから、アミは、目の前に道が2本出てきたら、あえて困難な道を歩むように心がけています。
「困難な道」を歩んでいれば、「常に自分の心を見つめ、磨いていくことができるから」です。

≪B先生の根本的課題≫

ちなみに、B先生の根本的な課題は、おそらく「母親との分離」だと思います。
母親が強い方なのでしょう。
B先生の心は、母親に押しつぶされています。
B先生は、独身ですが、B先生が結婚する人は、気持ち的には優しく、B先生についていく女性でしょう。
でも、B先生は、母親と奥さんの人間関係をうまくとりもつことはできません。
母親と奥さんが賢い人で、仲良くやれればいいのですが、そうでない場合は、B先生は、母親から奥さんをを守ることができません。
きっと、奥さんは苦労することでしょう(義父母との関係にもつながります)。

また、これから、B先生は自分の課題に気付き、克服するまで、「今と似た環境」が繰り返し現れることでしょう。

≪明るく、さわやか系タイプの方が気をつけるといいこと≫

自分が気が付こうと、気が付くまいと、だれにも「課題」はあります。
それは、いずれのときか、必ず現れます。
そして、根本的なところに気付き、それを乗り越えない限りは、これでもかというほど、繰り返し現れます。

どうせしないといけないことならば、アミは、自ら進んで前向きに取り組みたいと思います。
普段から「自分の心の奥底」を見つめる習慣をもち、自分を振り返り、心磨きをしていきたいと思っています。

「順調に来た人」「エリート的だった人」「明るく元気、スポーツ系の人」
「サークル、友達大すき系の人」「若い人、経験の幅が狭い人」で、「そこそこ心を大切にする人」は、面倒見がよく、人のお世話が好きな方が多いです。

それらの方々は、まず、「自分の心を深く見つめ、自分を知ること」をしてから(しながら)、「人のお世話」をすると、「より、相手の立場にたった、相手を生かすお世話」ができると思います。

「自分を深く見つめる時間」をあえてつくるのもいいかもしれません。
「インナーチャイルドとの対話」もいいかもしれませんね。
「自分が得意なこと」ばかりにチャレンジするのではなく、「自分が不得意なこと」にチャレンジするのもいい「心磨き」になると思います。

≪全てがスピリチュアル≫

このB先生とアミの会話をお聞きになって、皆さん、どう思われましたか?

アミは、会話の中で、一言も「スピリチュアル」という言葉を使っていません。
人生、全てが「スピリチュアル」「心磨き」「振り返り」なのです。
ですから、「スピリチュアル」「心磨き」「振り返り」というのは、特別なことでもなんでもないのです。
日常生活全てが、そうなのです。

でも、これらを意識して日ごろから勉強をしておくと、「全く、人生の深みや広がりが全く違ってくる」ところが不思議ですね!



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posted by 女教師アミ at 03:06| Comment(12) | TrackBack(1) | 教師 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月04日

◆教師という仕事 【アミの本音日記 3】

こんにちは、アミです。

「仕事」に関連してですが、アミ自身の「教師という仕事」に対する「想いの一つ」をお話します。

あまり、格好いい内容ではないかな(笑)・・・。

「ぼやき、なぐさめ、自分へのエール」等、複雑な想いが入っているような気がします。


◆教師という仕事 【アミの本音日記 3】◆

「教師」というのは、ある意味でいい魂修行になります。

「いくらこちらが良かれと思って、一生懸命教育したところで、親からほめられるわけでもなし、感謝されるでもなし、対応が少しでもまずいと、苦情のあめあられ。」
というようなこともしばしばあります。

私も現場時代は、けっこう厳しい学校ばかり行きました。
そのとき、私は思いました。

「なぜ、自分の生活をこんなに犠牲にしてまでも、この子達のために頑張らなくてはならないのだろう。私は、この子達の担任だが、親ではない。でも、親の役目も肩代わりしないといけない。でも、いくら頑張っても、親にもわかってもらえず、誰にも評価されない・・・。
まあ、子どもが元気で明るくなるのだけが励みかな・・。」

などと、考えていました。

「このままでは、やってられない」
と、若かったアミは考えました。

それで、アミはこう考え直すことにしました。

教師というのは、
「教育者」
というのが基本ではあるが、在る時は
「母親や父親」。
在る時は
「カウンセラー」
在る時は
「児童相談員」
在る時は
「○○○○」,etc.
である。

と。

要は、
「『聖職者のような、サービス業のような、福祉関連業などの複合した仕事をする職業人』
である。」
と。

「そうだよね、そう考えれば、
 『いつもの時間外勤務』
 『子どもが万引きしたお店へのお詫び』
 『朝、家に起こしに行く事』
 『食事の世話』
 『病院の世話』
 『親の人生相談』
 『自腹で問題集をどっさり買ってさせたこと』
 『理解力がないので、1年間作成し続けたサブテキスト』
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・,etc.
 も、どうってことないよね。」

と、思えるようになりました。

「なぜ〜?!!」
と、思えることが起きても
「サービス業! サービス業!」
と心で言い聞かせ、何とか心明るく乗り越えてきました。

本来でしたら、もっと、校内や関連機関などと連携をとって対応していかないといけなかったのでしょうけれど、その時代、それらの学校では、ほとんど、先生達に仕事は任されていました。

でも、今思うのは、あのつらい時代、たいへんだった時代のことが、本当に今、役立っています。

現場時代、「厳しい学力状況にある子ども達」と格闘したことで、「授業力」がつきました。

「厳しい環境に生きる親御さん」と共に子ども達を育てたことで、「いろいろな考え方、生き方」があることが分かりました。

「どうやって、落ち込んだり悩んだりしている親御さんの力になり、前向きに歩んでもらおうか」
「経済的に恵まれ、能力の高い子ども達の中に見え隠れするエゴイスティックな面。親御さんの誇りと名誉を傷つけないように、指導するためには如何にしたらよいだろうか」
などと、知恵を絞り、言葉を選びながら、親御さんと話し合ったことが
「今、いろいろな人との人間関係を広げたり深めたりする」
のに役立っています。

「厳しい環境にある子ども」から「とっても恵まれた子ども達」まで、幅広く出会ったおかげで、教師としての見識も広がったし、いろいろな意味で人生勉強になりました。

これらの経験が、今、若い先生方や授業力が厳しい先生方への援助にも、たいへん役立っています。

仕事上、いろいろな先生方に出会います。私の友達にもいろいろな先生がいます。でも、みんな頑張っていて、困難を乗り越えていっています。

今、どの仕事もそうですが、「教師という仕事」もかなりつらい状況に置かれています。

先生方、お体だけには気をつけられて、連携をとれるところはできるだけとって、頑張っていきましょう。

報われないことがいっぱいあるように思えるけれど、長い目で見たら、結局は自分のためになっているものですよね。

「天の蔵に徳を積ませてもらう」と思って、「心磨き」のためと思って、一緒にがんばりましょう。


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posted by 女教師アミ at 22:12| Comment(8) | TrackBack(1) | 教師 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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