2009年12月24日

◆旅立ち 〜光の世界へ〜 【12月24日(木)】

◆旅立ち 〜光の世界へ〜 【12月24日(木)】

2009年12月15日、午後9時10分、アミは光の世界へと旅立ちました。

9月13日に緊急入院して以来、アミに愛念を送って下さった皆さま、物心両面でのご支援をいただいた皆さまに心から感謝致します。本当にありがとうございました。
そして、多くの皆様方からのご支援を受けながら、完治させることができなかったことをお詫びいたします。

アミの光の世界への旅立ちから現在までのことを取り急ぎご報告させていただきます。

神式にて16日に仮通夜、17日に通夜祭、18日に告別式及び繰り上げ十日祭を執り行いました。
3日間でのべ500名以上の弔問客があり、その後も今日まで毎日弔問客が我が家を訪れています。
「お母さんはほんとに凄いよ、こんなに大勢の人達に慕われていたなんて!」
と、何度もアミに語りかけました。

この数日の間にも、すでにアミはあちらの世界での活動を開始していました。
縁のあった幼子達の夢の中に現われては、プレゼントを配って回ったり、パーティーを催したり、一緒に旅行に行ったりと大忙しのようです。
さらに、10月11日の記事にも登場した姪っ子(Sちゃん)とはすでに意思疎通ができるようになっており(Sちゃんにはアミの姿がはっきりと見えます)、得意の創造性を発揮してとびっきりおしゃれな姿で現われては、ほぼ1日中Sちゃんのそばにいて教育しているようです。

そのSちゃんが明後日(26日)に我が家にやってきます。
私もナルミンさんも知子さんも、Sちゃんがやってくるのを心待ちにしています。

アミはこの世を旅立ちましたが、私も皆さんも以前にも増して、より強い絆でアミと結ばれています。
アミは肉体と物質の束縛から解き放たれて、自由自在に活動しています。
アミの他界を悲しい知らせとしてではなく、新たな門出を祝う良き知らせとしてお知らせしたく、ご報告が遅れてしまいました。お許し下さい。

Merry Christmas!


必要としている、少しでも多くの人に言葉を届けたいのでするんるん
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ラベル:旅立ち 光の世界
posted by 女教師アミ at 07:07| Comment(22) | TrackBack(0) | 死生観 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月04日

◆「死んだらどうなるの?」 【アミの一口コラム 124】

こんにちは、アミです。

みなさん、楽しい連休を過ごされているかもしれませんが、アミは、家にこもっています。
あまり、こもりすぎて頭が痛くなりそうだったので、主人と一緒に、近くの生協に行って、サンドイッチを食べてきました(豪華な連休だなぁ〜苦笑)。

さあ、今日は、突然、「死んだらどうなるの?」についてお話したいと思います。
以前にも、お話をしたことがあると思いますが、大切なところですので、少し、詳しく例を挙げながらお話したいと思います。

読み物を読むようなつもりで、お茶でも飲みながら、リラックスして読んでいただければと思います。


◆「死んだらどうなるの?」 【アミの一口コラム 124】

〜 はじめに 〜

今日からお話をすることは、もうご存知の方も多いかもしれません。
でも、復習と思って読んでくださいね。

私は、「臨死体験」を経験したことはありませんので、これが絶対に真実かどうかはアミ自身は、確かめたことはありません(当たり前ですよね)。
ただ、多くの文献などから共通点を引っ張り出したり、臨死体験者の話を読んだりしながら、アミの直感でまとめたものです。
(臨死体験・死後体験について、詳しくお知りになりたい方は、「坂本政道さんの本」をお読みいただければよく分かると思います。)

他の方のお話と若干違いはあるかもしれませんが、おおむねこんな感じだろうと思います。
「臨死体験についての研究」も進んでいます。
また、新しい情報を入れて、今後も、この臨死体験については、加筆修正をしていきたいと思います。
今回は、「おおむねこんな感じ」という感じでとらえていただければ、いいかと思います。


〜 死んだらどうなるの? 〜

私達の魂は、肉体と「シルバーコード(霊子線)」でつながっています。
普段は、魂は肉体の中にすっぽりと納まっています。
でも、「寝ているとき」や「死ぬ間際、生死をさまよっているとき」は、シルバーコードにつながれたまま、魂は、肉体を離れたり戻ってきたりしながら、この世とあの世を行ったりきたりしています。

死ぬときは、この「シルバーコード」が切れるのです。
そして、魂は肉体を離れ、あの世(元いた世界「霊界」)に戻っていきます。

今日から、「2つのタイプの方の死」について、お話したいと思います。

最初は、
「『死後の世界などない。人間は死んだら無になる』と考えているAさんの死」
についてです。


〜 交通事故でなくなったAさんの場合 〜

≪Aさんの意識≫

(1)事故現場で

Aさんは、60歳の男性。
奥さんはもう亡くなっています。

子どもは3人います。
長男、次男、長女の順番です。
みんな結婚をしています。
今、Aさんは、次男と暮らしています。

Aさんは、散歩の途中、道路を横断中に信号を無視してきた車にはねられ、大怪我をしました。

Aさんは、ふっと気が付くと、横断歩道の上空にいました(シルバーコードではつながっているが、魂が体から抜け出て、自分の体を自分の意識が見ている状態)。
目の前には、「血だらけになった自分の体」が横たわっています。
自分の体の前に止められた車から、運転手が青ざめた顔をして、車からAさんの体の方に向かって飛び出してきました。
そばで見ていた人が
「救急車!救急車!」
と、叫んでいます。
やがて、救急車が来て、Aさんの血まみれになった体を運んでいきました。

「自分の血まみれになった体は、自分の眼の前にあり、自分がそれを眺めている? いったい、何が起きたのか?」
Aさんは、「何が何だか分からない状態」になり、大混乱状態です。

Aさんは、霊的知識が全くありません。
「死後の世界などない。人間は死んだら無になる。」
と、日ごろから考えていました。

このため、Aさんは、「自分の置かれている現状」を理解できません。
もう大パニックです。


≪病室で≫

Aさんは、病院に運ばれましたが、出血多量で亡くなりました。

「残念ながら、ご臨終です。」
という医師の声が病室に静かに響きました。

Aさんは、ふっと気が付くと、病室の天井の辺りから、「自分の体」を見つめていました。
病室のベッドに、「自分の体」が横たわっています。
体中、包帯だらけです。
自分の体にすがって、3人の子ども達(成人して結婚しています)が泣いています。
「おとうさん、なぜ、死んだの?」
「どうしてこんなことになったの?」
という声が聞こえます。

「何が起きたのだ?」
Aさんは、びっくりしました。

Aさんは、叫びました。
「おい、おい、私はここにいるぞ! ちゃんと生きているぞ!」

でも、だれもAさんの声に気が付きません。
Aさんは、またまたパニック状態です。
自分の身に何が起きたのかさえ、分かりません。

自分が覚えているのは、
「自分が道路を渡っていると、急に車が猛スピードでやってきて、自分がはねられたこと」
ぐらいまでです。

その後、どうなったのか???

Aさんは、
「事故現場に戻ってみたい」
と、思いました。

その瞬間、Aさんの意識は事故現場に戻りました。
見ると、そこは何事もなかったのごとく、いつものように車が走っていました。
信号機の下に小さな花束だけがぽつんと置いてありました。

ますます、Aさんは頭が混乱してしまいました。

Aさんは、
「もう一度、病室に戻りたい」
と思いました。

一瞬にして、Aさんの意識は病室に戻っていました。
もうそこには、自分の体はありませんでした。

Aさんの体は、「病院の霊安室」にありました。
Aさんは、叫びました。
「だれか、気が付いてくれ、私は死んでいない!
たちゃんと生きている!」
と。

でも、誰も気が付きません・・・。

明日は、Aさんのお葬式が執り行われます。

続く・・・。


◆編集後記◆

このように、「死後の世界などない。人間は死んだら無になる」と、考えている人が亡くなった場合、本人は、大パニック状態になります。

特に、「不慮の事故」などで亡くなった場合はなおさらです。
「死に対する心構え」ができていないからです。
「死に対する考え方(知識)」が間違っているので、今、置かれている現状が理解できず、パニック状態に陥るのです。

ですから、「死」「あの世」などに対する正しい知識を生前、知っておくことはとても大切です。

私は、自分の父母とよく死について、話します。


− 父母とアミ夫婦のぶっ飛び?会話 −

≪父≫
「アミ、おとうさんが死んだら、葬式は最低限度でいいからね。」

≪アミ≫
「でも、きっと学校関係が来るから弔問客が多いよ。駐車場が狭いと困るよ。」

≪主人≫
うなずく(義理だから、正直なコメントはしにくい)。

≪父≫
「それなら、お前が手配して(足りない分はお金を自分で出して)駐車場が広いところをとりなさい。
 お父さんは、一応、○○会館でするから。」

≪アミ≫
「そう、それならいいわ。あそこは、駐車場が広いから・・・。

 ところで、お母さん、お母さんは、ちょっと(本当はかなり)心が曇っているから、死んだら『反省』をちゃんとしないとだめだよ。
 そうしないと、元いた世界になかなか帰れないよ。」

≪主人≫
※「とっても共感オーラ」をアミに送る。

≪母≫
「いらん世話!」
※全く動じない母。

≪アミ≫
「お母さん、死んだらどうなるか、ちゃんと、知っているの」
※ しつこいアミ

≪母≫
「あんたに言われんでも、おかあさんは、ちゃんと心の修養を積んでいるし(?)、いろいろな人の死に関わってきたから、知ってるよ(母は面倒見がよく、いろいろ病人の世話をしている)。いらん世話焼かんで!」

≪アミ≫
「い〜や、心配! おとうさんは、何とかOKだと思うけど、お母さんはねぇ〜・・・。
 なかなか霊界に帰れなで、私の周りをうろうろされたら困るもの。
 お母さん、何だかんだ言っても、死んで困ったら、絶対、私のところに頼ってくるんだから〜。
 私、お母さんが病院に入院したら、お母さんの枕元で、『死後の世界』について、お話をしてあげよう。」

≪主人≫
※ 共感オーラ

≪母≫
「そんなことをしたら、夜な夜な化けて出るからねえ〜!」

≪アミ≫
「それなら、私は光で跳ね返すよ(笑)!

 お母さん、私、聞いたことがるけれど、どこかの宗教は、ちゃんとなくなる前に、そこの宗教の方が枕元に来て、安らかにあの世に旅立てるように、お祈りしたりお話したりするのよ。」

≪母≫
「もう、私が病院に運ばれたら、あんただけは、『面会謝絶』にしてもらうからね!」

等と、お互いに憎まれ口をたたきながら、「死」について、父母や主人、アミと4人で、ごく当たり前の会話として、日常生活の中で話しています。

このような憎まれ口をたたく我が父母も、自分で「葬式写真」を、(気に入らないと)もう何年も前からとり続け、お墓もず〜と、前から準備し、毎年、自分の墓参り(お墓のクリーニング?)に行き、いつ何時、何があってもいいように、準備万端です。

二人とも、年はとっています。
父は血栓などがあり、爆弾を抱えている状態ではありますが、80歳過ぎても山登りをし、健脚です。英語やギター、川柳と趣味も多彩です。
母は、おしゃべりで遊び好き、世話好きで、しょっちゅう、どこかに出かけて行って、友達と遊んだり、人の世話を焼いたりしています。父に対しても、とても世話好きで、父のホームドクターのような役目をしています。

昔は、アミとの間の確執があり、「アミの困難人生のスターター」が父母だったような気がするのですが・・・。
時が穏やかに流れました・・・。

いずれ、お別れのときが来るのでしょうが、そのときは、精一杯、面倒を見させてもらおうと思っています。

またまた、「ぶっ飛び会話」だったかな〜。
アミ夫婦だけでなく、アミの親も変人になったかもしれないですね(苦笑)。


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posted by 女教師アミ at 12:53| Comment(13) | TrackBack(1) | 死生観 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月04日

◆幸せな患者さん 【アミの一口コラム 45】

こんにちは。アミです。

今日は、「人の生死の場面に立ち会う(ことがある)お仕事」について、アミの想いをお話します。

前回の記事に、meddaywalkerさんが、コメントを下さっています。
その記事に対して、「アミがお返事していること」を元にちょっとお話をさせてください。


◆幸せな患者さん 【アミの一口コラム 45】◆

患者にとって、お医者様(看護士さんも)とのかかわりって大切ですよね。
自分の「健康」、果ては「命」にまで関わるお仕事をしてくださるのですから・・・。

肉体的なことは、横に置いておきますね。
メンタルな面から、お話します。

検診などを除けば、病院に来られる方というのは、ほとんどの方は病気です(当たり前ですが)。
体が病気なだけでなく、気持ちも沈んでいたり、心まで病んでいたりるする場合も、多々あったりします。

病院の先生は、おそらく、体だけを診るのではなく、きっと患者さんのメンタルな部分とも向き合わざるをえない場合が多いのではないでしょうか。

推測ですが、おそらく、病院の先生方というのは、もちろん、知的にも優れていないといけないし、技術が必要なことは基本だと思いますが、それプラス、「強靭な体力と精神力」がいるのではないかと思います。
そして、根本的には患者さんに対する「愛」が必要なのでしょう。

病院の先生というのは、体(心?)を治すだけでなく、「人の死を看取る」「人の死に立ち会う」という大切な役目が、(スピリチュアル的に言えば)本当はあるのではないかと思います。

人の体(心)を治療されるだけでも大変なことなのに、meddaywalkerさんのように、亡くなった方の魂にも優しい心遣いをされるなんて、誰にでもできることではありません。

亡くなった多くの患者さんの魂は、病気との闘いに疲れ、傷ついておられる場合があります。
また、「信じがたい死」のショックを受けておられる場合もあります。
「死んだらおしまいという方」は、まだ、自分の肉体があると思われ、亡くなっても病と闘い続けておられる場合があります。
「死んだ」ということがわからない魂は、いつまでも、亡くなった場所にとどまっていることもあります。

そんな患者さんにお医者様からの温かい一言は、きっと心に染み入るものがあるでしょう。
「霊界への移行に向けて、がんばろう!」
という勇気が湧く方も多いと思います。

私は、meddaywalkerさんのブログを拝見して、
「ああ、こんな素敵なお医者様がおられるのだなあ」
と、思いました。

「スピリチュアル」というのは、何も特別なことではなく、ごく当たり前のことで、(怪しい仕事を除けば)どんな仕事の根っこにも流れているものだと思います。

でも、特に、人の生死、特に死に接することがあるお仕事は、スピリチュアル的には、とても意味があるものだと思います。

以前のブログ、◆お通夜のできごと(2) 【アミの一口コラム 43-2】
で、アミが、Terraさんに 【大きな期待 −Terraさんへ−】 として、お返事した内容にも通じるものがあります。

※今日、このように書いていることは、もしかしたらアミの勝手な解釈で、meddaywalkerさんの想いとは違うかもしれません。そのときは、ごめんなさい。アミなりにとらえた内容ですので、どうぞ、お許しください。


◆編集後記◆―――――――――――――――――――――――――――

私も義父が亡くなるとき、お医者さんや看護士さんに本当に励まされました。

人間にとって、「どのように生まれるか」ということより「どのような死を迎えるか」ということのほうが重要なのではないかと思います。

「スピリチュアルな考え」が、特別なことではなく、ごく当たり前のこととして、世の中に受け入れられ、実践されれば、世の中はもっと平和で温かいものになっていくと思います。そんな輪が広がってくれればいいなあと思います。



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posted by 女教師アミ at 23:26| Comment(8) | TrackBack(0) | 死生観 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月30日

◆お通夜のできごと(2) 【アミの一口コラム 43-2】

こんにちは。アミです。

メルマガ・ブログの発行、アップが遅くなりすみません。

私の今の仕事が、たまたま、特殊で、「(現場の先生方のお助けマンとして)来るものは拒まず・・・」みたいなところがあり、最近、次から次にと「お助けコール」が入り、仕事が坂を転げ落ちる雪だるまのように、膨れ上がってきつつあります。

昨日、17:00までは、何人かの新規採用の先生方に授業づくりのことで相談に乗っていました。そのうちの1人の先生がいつもより元気がありません。
気になったので、後で、その先生に残ってもらい、話を聞くと、やはり、子どもと保護者の悩みでした。いくつか、指導のポイントを話し、とりあえず、笑顔で帰っていただきました。

夜は、アミの自宅に、研究授業を控えた先生方がお2人、お見えになり、お一人お一人の学習指導案をみながら授業づくりの相談に乗っていました。ふと気がつくと、終わったのは12時でした。

このようなことが最近、連日連夜続いています。

今、本当に学校現場はたいへんです。日々、教師は子ども達と格闘しています。
そんな中でも、
「研究授業をすることになり、困っているから助けて欲しいと、来られる先生方」
「子どもが荒れて、どうしたらいいかわからないという先生方」
等を
「忙しいからダメ」
とは、とても断れず、相談に乗っているしだいです。

もう
「やるしかない!」
の世界です。

でも、
「メルマガ・ブログも書きたい!!」

と、強〜く思っていますので、睡魔と闘いながら「ただ今奮闘中!」です(いつも睡魔に負けて朝まで畳に転がっていることが多いのですが・・・苦笑)。

頑張りますので、どうぞ、今までどおり、応援してくださいね!

前回の記事で、
「ああ、大切なことを書き落とした・・・。」
と、気が付きました。

今日は、書き落としたことを書きます。


◆お通夜のできごと(2) 【アミの一口コラム 43-2】◆

〜 「お葬式って大切」 〜

お葬式というのは、とても大切だと思います。

なぜなら、たとえ、
「死後の世界なんてないぞ〜!!」
と、固く信じていらっしゃる方でも、お葬式は「死んだときに行うもの」と、わかっているから、自分のお葬式を見れば、「もしかして・・・」と思えるからです。

死んで、自分の魂が肉体から離れ、抜け殻となった肉体が葬式場に担ぎ込まれたとき、亡くなった方の魂は、あちらこちらに行きながらも、葬式場にとどまっていることが多いようです(少数ですが、亡くなった方の波動が極端に低い場合は、死んで即、「地獄みたいな世界」に引っ張られていったり、波動が高い場合は、死んで即、「天国のようなところ」に召されていったりする方などもおられるようです)。

亡くなった方の魂も、自分の葬式に参列しているわけです。

死後の世界を信じない方も、さすがに自分の肉体が棺おけに入れられ、たくさんの知り合いが参列している様子や、お坊さんがお経をあげていらっしゃる姿を見たりすれば、何となく、
「自分は死んだのかなあ・・・」
と、思える場合もあるわけです。

ですから、スピリチュアルな面から見ても「お葬式」つまり、「亡くなった方が自分が死んだことが認識できる行為」を行うことには、意味がある場合が多いのではないかと思います。

今日は、「お葬式に参列している一般の方の意識」についてお話してみたいと思います。


〜 一般の参列者の意識の持ち方 〜

前回、私が「心の中で、亡くなった方にお話したこと」

<アミの心のメッセージ>

「○○さん、あなたは、死んだのですよ。
 死んだ体は、せみの抜け殻と一緒。だから、焼いて捨てられるだけです。
 魂は、永遠に生き続けるのですよ。
 今から、あなたは、自分の人生を振り返って反省をします。
 評価規準は、

 @あなたが一生を通じて、どれだけ人を愛したか。
 Aあなたが生まれる前に決めてきた「自分の心磨きのための課題」を、どれだけ「真善美(愛)」にかなった形で解決したか(していこうと努力したか)。

 この2点について振り返り、反省します。
 しっかり反省することができ、気持ちの整理がつけば、あなたは、元いた『あなたの魂の故郷』に帰ることができます。

 残された方のことは、何も心配されなくていいので、ご自分の人生を振り返り、心の整理をつけ、故郷にお帰りください。そして、しばらく、休まれてください。
 生前は、・・・・・のことで、たいへんお世話になりました。ありがとうございました。」


等という言葉を、
お葬式に参列されている方も、お坊さんのお経を聞きながら、心の中で、亡くなった方の魂に語りかけてあげてください。

別に特殊な能力をもっていなくても、人の想いというのは、「エネルギー」ですから、必ず、亡くなった方の魂にも伝わります。
特に、肉体を脱ぎ捨て、魂だけになると、その魂は、とても敏感になり、「人の想い」をすばやくキャッチできます。
参列者の「想い」は、亡くなった方にもちゃんと届くのです(亡くなった方の反応がわからないので、一方通行的には感じられますが)。

死んだ方への参列者からの一番の贈り物は、
「少しでも早く、自分が死んだことに気付かせてあげ、安心して本当の故郷に帰れるようにメッセージを伝えてあげること」
です。
 
それは、特殊な能力がなくてもできるのです。
亡くなった方に向かって、心の中で語りかければいいだけです。

「徳を積ませていただく」
と、思って、是非、亡くなった方へ「愛のメッセージ」を送ってあげてください。


◆編集後記◆―――――――――――――――――――――――――――

「死」は、とても大切な人生のテーマです。

「死」のポイントは、
「『この世での死』から『あの世への生』に向かってスムーズに移動していくこと」
です。

この「移動」に失敗すると、「浮遊霊」「地縛霊」になってしまうのです。

亡くなった方をサポートする大切な役目をお仕事として
「お坊さん、神主さん、神父さん、牧師さん等の方々」
が、されています。

でも一般の方々にもできることはあります。
「亡くなった方を想い、愛と感謝の気持ちで伝える心のメッセージ」
は、必ず伝わります。

もし、よかったら、お経を聞きながら、亡くなった方へ最後のプレゼントとして、「愛のメッセージ」を送ってあげてくださいね。


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posted by 女教師アミ at 08:34| Comment(4) | TrackBack(2) | 死生観 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月26日

◆お通夜のできごと 【アミの一口コラム 43】

こんにちは。アミです。

今日の話は・・・。

客観的事実をお話するのではありませんので、
「こんな話もあるのか・・・」と、気楽に聞いてくださいね。


◆お通夜のできごと 【アミの一口コラム 43】◆

昨晩も、急ぎで、絶対にその夜に仕上げなければならない仕事がありました。

ところが、お世話になっていた方が亡くなり、お通夜の連絡が入ってきました。

私は、急ぎの仕事があるので、お香典を知り合いにお願いしようかと、
(お世話になっていたにもかかわらず・・・)ふとどきにも、ふっと思ってしまいました。
お通夜の会場が少し遠いので、お通夜に出れば、帰りが遅くなり、急ぎの仕事は間に合わなくなるのは必至だったのです。
「でも、お世話になった方だし・・・。」
と、少し、迷いました。

そのとき、私の心にぱっとあるイメージが浮かびました。
「亡くなった方が、困惑された表情で、通夜会場の天井のところから、自分の棺や会場に集まってくる人々を見ていらっしゃるイメージ」
です。

そして、アミの心の中で声がしました。
「あなたが○○さんに語りかけてあげれば(○○さんは、アミのことを知っているので)、きっと自分の、今、置かれている状況が分かるでしょう。」
と。

私は、
「そうだよね・・・。お世話になりっぱなしで、何もお返しできなかったから、
最後に何か少しでもお返しすることができれば、いいかなあ。
仕方がない、仕事は、明日、早く職場に行ってしようか・・・。」
と、考え直し、お通夜に行くことにしました。

お通夜の会場に着きました。
会場内は、スッキリした明るい雰囲気です。

アミは、
「ああ、○○さんの心はスッキリした感じでなくなったのだなあ。
悪い状態でなくてよかった。」
と、思いました。

いつものように、式場の女性の司会者の「形式的なお弔いの詩」の朗読がありました。
きれいな声ですが、その女性の「×××な波動」が伝わってきます。
私は、心の中で
「私は、絶対に、自分が死んだときは、知らない人に心のこもらない『詩の朗読』なんて、してもらわないぞ!」
と、思いました。

お坊さんのお経が始まりました。

私は、お経を聞きながら、会場を見回しました。
天井の片隅の1箇所だけ、波動が重く感じられる?
(そこの空間だけ密度が濃い?重い?)場所がありました。

私は、そこに意識を集中しました。

そして、心を静かにしていると、心の中に○○さんと思われる声が響きました。
「おやあ! アミさん、あなたには私のことがわかるのかね。
だれも、私のことに気が付かないのだよ!
私は、一体どういうことになったのかね?
死んだようにあるけど、まだ、生きている・・・。」
と。

アミは、心の中で○○さんに語りかけました。

「○○さん、あなたは、死んだのですよ。
死んだ体は、せみの抜け殻と一緒。だから、焼いて捨てられるだけです。
体が焼かれても心配をしないでください。
魂は、永遠に生き続けるのです。
だから、あなたは魂として、生き続けているのですよ。

あなたが死を迎えたとき、あなたの肉体から魂が抜けます。
生きている間は、あなたの魂と肉体はシルバー・コード(霊子線)で結ばれています。
でも、死を迎えると、肉体と魂を結んでいたコードが切れるのです。
だから、今のあなたは、魂として天井にふわふわと浮かんでいるのです。」

○○さんは、昔から頭の良い方で、わかりの早い方です。
必死で、アミの言うことを理解しようとされている様子が伝わってきました。

アミは、続けました。

「今から、あなたは、自分の人生を振り返って反省をします。

評価規準は、

@あなたが一生を通じて、どれだけ人を愛したか。
Aあなたが生まれる前に決めてきた「自分の心磨きのための課題」を、
どれだけ、「真善美(愛)」にかなった形で解決したか(していこうと努力したか)。

この2点について振り返り、反省します。

しっかり反省することができ、気持ちの整理がつけば、あなたは、
元いた「あなたの魂の故郷」に帰ることができます。

あなたは、誠実で、真面目で、研究熱心な方です。
あなたは、今世、子ども達のために、教育のために力いっぱい頑張ってこられました。
もう、十分なのではありませんか。

病気でもうこれ以上、苦しまなくていいのですよ。
これから、仲間のいる故郷に帰りますよ。

もう、この世に未練を残すことはありません。
残された人は、残された人で何とかやっていくのです。

何も心配されなくていいので、ご自分の人生を振り返り、心の整理をつけ、
故郷にお帰りください。
そして、しばらく、休まれてください。

本当に、○○さん、ありがとうございました。
○○さんのご指導のおかげで、私も何とかここまで来ることができました。
心から感謝いたします。

これからは、○○さんから教えていただいたことを、後輩の方々にお伝えしていきます。」

と、○○さんに語りかけました。

○○さんは、
「ありがとう。わかったよ・・・。」
と、言われたようにアミには感じられました。

お坊さんのお経が終わり、遺族の方のご挨拶がありました。

「父は、最期、涙を浮かべておりましたが、最後の顔は、笑っておりました。」
と。

アミは、
「ああ、やっぱり、いい死を迎えられたんだなあ。」
と、うれしくなりました。

帰って主人と話しました。

「○○さんは、とても誠実で実直で、努力家だったの。学者タイプだった。
少し、固いところがあって、許容範囲が若干狭いところがおありだったから、
その辺りは反省されるでしょうけど、トータルで見たらきっと素晴らしい人生だったでしょうね。
きっと、すぐ、お仲間のところに帰られるわね。」

と。


◆編集後記◆―――――――――――――――――――――――――――

アミは、「お葬式やお通夜、お墓」が好きだなあと、あきれられるかもしれませんね。

でも、「死を迎えるとき」に、その人の「人生の結果」がそこはかとなく表れる場合が多いと、アミは感じます。

「お葬式の会場の雰囲気」「遺影」「亡くなったお顔」「集まった方々の雰囲気」などから、「亡くなった方の人生」が何となく伝わってきます。

また、「死んだら、どうなるか」に関する知識はとても大切です。

「死の真実」についてわかっていないと、死んだときにうろたえ、あわてるのです。
「死んだらおしまい」などと、固く信じている方はたいへんです。
あの世からお迎えに来た霊人を悩ませ、てこずらせているのがこのタイプの方です。
このタイプの方は、「死」を正しく認められないため、あの世に帰れず、地縛霊や浮遊霊になって、この世をいつまでもさまようことになることが多いようです。

「死の真実」を知っていれば、「死」は怖くないし、返って「生」を力いっぱい生きられます。

「死」は、「今世における魂修行のゴール」です。

肉体的には一人ぼっちで死んでいくように思えますが、本当は違います。
「たくさんの霊界の仲間」や「先立った親族」、「今まで自分の人生でずっと付き添ってくれていた守護霊たち」が枕元にいて励ましてくれます。

たくさんの人や霊に見守られ、晴れやかな顔で死を迎えたいです。
そのためにも、1日1日を大切に生きていきたいなあと、思います。


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2005年08月15日

◆感動したお墓 【アミの一口コラム 26】

こんばんは。
アミです。

今日は、縁もゆかりもない近くの霊園の
「お盆の供養のためのお祭り?」
みたいな行事が行われているところに行ってきました。

近いうちにお墓をそこに建てようかなと考えているので、下見を兼ねて行きました。


◆感動したお墓 【アミの一口コラム 26】

霊園の下の広場では楽しそうなお祭りのようなものが催されていました。
私達夫婦は、お祭りには目もくれず、将来に備えて、ひたすらお墓を見てまわりました。
きっと、1000万円はくだらないと思われるような、ゴージャスなお墓もありました。あまりのすごさに、私は、驚嘆の声をあげました。

感動したお墓もありました。


《感動したお墓 1》

お墓の正面に次のような言葉が彫られていました。


空があるから
風が吹くから

あなたがいるから

とっても
とっても

しあわせなのです



この墓地は、海の近くの自然に囲まれた高台にあります。
ここは、青く広い空が広がり、海からのさわやかな風が吹きます。

この言葉の周りを囲むように、四葉のクローバーが彫られていました。
お墓の門のところにも、花の絵が彫られていました。

お墓の前には、2体のかわいいお地蔵様が並んでいました。
そして、若い女性が手向けたと思われる美しい花束がお供えしてありました。

亡くなった方の年齢は36歳の男性でした。

きっと、お墓に彫られていた詩は、奥様がご主人に手向けて書かれたものでしょう。

このお墓から、

「夫婦の愛」
「ご主人が奥さんをいとおしむ気持ち」
「奥さんの悲しみ」
「未来を見つめようとする奥さんの気持ち」

がアミの胸にひしひしと伝わってきました。涙が溢れ出ました。
ご主人は、生前、きっと幸せだったことでしょう。

奥さんはきっとこの悲しみを乗り越えて、残された子ども達を大切に育てていかれるだろうと思いました、


《感動したお墓 2》

もう1つのお墓の正面には、次のような言葉が書かれていました。


思い出は心の中に永遠に

感謝を込めてありがとう



「これも、若い方のお墓かな」と思いました。
お名前を見ると、71歳のおばあちゃんでした。

その瞬間、アミの心に丸顔のにこにこしたおばあちゃんの顔が浮かびました。
おばあちゃんを囲むようにして、たくさんの家族や孫が集まっています。
おばあちゃんは、とっても幸せそうな安らいだ表情をされています。

「ああ、このおばあちゃんは、心豊かな人生を送られたのだなあ。みんなから愛されていたのだなあ。おばあちゃんの周りの人たちは、おばあちゃんからたくさんの思い出と一緒に深い愛をもらっていたのだなあ。」

と、思いました。


《お墓に彫られた二つの言葉》

その後、お墓を見ていると、二つの言葉に出会いました。

1つは


天に星

地に花

人に和



もう1つは
  




です。

アミは、勝手にこう読みかえました。


 「心に光 地に命 人に愛 そして、家族に絆


と。

「神様からのメッセージだ!」と思いながら、帰路に着きました。


◆編集後記◆―――――――――――――――――――――――――――

「死」というのは、本当にその人の人生が出ます。

本当に「いい死」を迎えたいと思います。

050806kane.JPG
《響》

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posted by 女教師アミ at 22:40| Comment(10) | TrackBack(0) | 死生観 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月13日

◆お葬式(1)<Aさんの場合> 【アミの一口コラム 18-1】


こんにちは。
アミです。

さて、今日はアミが前から書きたかった「死生観に関するエッセイ」を書いていきます。具体的には、「お葬式」「死」「病気」「健康」などについてです。

人間はみんな死にます。お葬式もするでしょう。
死やお葬式などは、誕生や結婚式と同じぐらい大切なものですし、私達の身近なものだと思います。

けっして、「死者」や「お葬式」等を軽く扱っているわけでも、冒涜しているわけでもありません。自分なりに、誠実に向き合って考えてみようというものです。

「お葬式」や「死」などについて考えることは、「生」や「生き方」について考えることにつながります。

悩みや課題を解決し、よりよく生きるためには、この「死」という問題を抜きにしては考えられません。

「死」から、「生」を見つめるというのでしょうか。

人は、自分なりでよいので、きちんとした「死生観」をもつことが大切だと思います。でも、アミはその道の専門家ではありませんので、アミなりにふっと思ったこと、日ごろ考えていることをエッセイ風につづっていきたいと思います。

あくまでも、変わり者のアミの一つの考え方ですので、皆さんが考えるときの何かの参考にでもなればうれしいです。


◆お葬式(1)<Aさんの場合> 【アミの一口コラム 18-1】◆

少し前に、知人のAさんのお葬式に行きました。

式はつつがなく進み、やがて弔辞になりました。

※ アミは仕事柄、よくお葬式には参加します。一般的には違うのかもしれませんが、アミが今まで参列したお葬式の場合は、この世的にもある程度の地位のある人が弔辞を読むことが多かったです。弔辞の内容は、「○○○の功績があった」「△△△のために、大変な尽力をつくしてくれた」などの、故人の功績などをたたえるものが多かったように思います。

ところが、Aさんの弔辞では、お友達の近所のおばあちゃんがちょこんと出てこられました。

そして、ぽつりぽつりと語り始めました。

「Aさんは、優しい人でした。昔は、近所の店でお惣菜を作っていました。Aさんの作る押し寿司は、たいへんおいしく近所でも評判でした。お昼になると、近所の人は、お店の前に並んでAさんの作る押し寿司を買いました。お店をやめてからも、Aさんは、よく私達に押し寿司を作ってくれました。花見のときには、押し寿司を作って持ってきてくれました。あの味は忘れられません。こんなことになるのなら、Aさんに押し寿司の作り方を聞いておけばよかったです。Aさん、永い間、私達のためにいろいろ気遣ってくれて、本当にありがとう。私達は、Aさんと一緒に楽しい思い出をたくさんつくることができました。」

というような内容でした。

アミの心のスクリーンに、
「ピンク色の桜が舞い落ちる中、『朝早くから一生懸命に作った押し寿司』を『おいしい。おいしい。』と言って食べる近所の人々の様子を、眼を細めて見ているAさんのうれしそうな顔」
が、ぽっと浮かびました。

アミは思いました。

自分の一生を振り返ったとき、たとえ、お金持ちにならなくても、仕事で大成功しなくても、「ごく普通の平凡な人生」であっても、Aさんのように

『自分の周りの人を愛し、また、愛されて一生を終えること』

も「素晴らしい人生だなあ」と思いました。

「自分の一生を通じて、どれだけの人を、どのくらい愛せたか?」

アミが死んだときは、Aさんのような弔辞を友達に読んでもらえるような生き方がしたいなあと思いました。



◆編集後記◆----------------------------------------------------------

アミは、波動敏感体質なので、お葬式に出ると、好むと好まざるとにかかわらず、人よりいろいろなことを感じます。

いろいろなお葬式に参列するたびに、考えさせられます。

アミの心の中に、良くも悪くも「心に残るお葬式」がいくつかあります。

「感じる世界」(科学的な裏づけのない世界)のことですので、ためらうところもありますが、これから時々、今までのお葬式で感じたことを正直に綴っていきたいと思います。



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posted by 女教師アミ at 23:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 死生観 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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