2009年09月26日

◆アミ日記「病をとおして2」【9月26日(土)】◆

「人のカルマ修正や使命につながる心磨き」等に係わる「深い学び」は、
おそらく、「辛い試練」を通してしか、できないものかもしれません。

「普通ぐらいの辛さの試練」でしたら、いろいろと「考える余地、余裕」があるので、いろいろ思いを巡らします。
ただ、けっこう辛いので、どちらかというと、
「自分を守りたい、自分の正当性を主張したいモード」
に陥ることがあります。

でも、「ものすごく辛い試練」だと、たとえば、体の痛みや辛さを伴うものだと、考える余地がありません。
ただひたすら痛みと闘うのみです。
そのとき、人が考えるのは、2つの方向しかありません。

「なぜ、自分だけがこんなに辛い想いをしないといけないのだ?!(うらみ、絶望型)」
「自分がこんなに辛い想いをするということは、よほど自分のどこかに原因があったのではないか?(気付き、発展型)」
です。

「極端に辛い試練」は、「極端に心の深いところ?広いところ?」に原因があることが多く、原因を自分の力だけでは、なかなか見つけ出すことができません。
極端に言えば、幼少期、過去世からくるものもあります。
そこで、本や、いいアドバイスが必要になってくるのだろうと思います。

でも、これをきっかけに解消できれば、ぐんと魂は浄化されます。
ピンチは、チャンスです。

アミは、病院でずっと考えたりイメージをしたりしています。
ただ、その時、我流にならないように(自己正当化しないように)いくつかの私の好きな書物をよく読みながら、考える視点を決めています。

キーワードは、
「女性としての生き方、役割、感謝」
です。

うちの家系的に見ても、これはあると思います。
それは、私が離婚したあたりから分かっていましたので、自分なりには気をつけていたつもりでした。
でも、環境が辛くなると、だめですね。
ブログには書いていない(書けない)辛さがありました。
心配性、不安性(いわゆる自分が害されたくないというエゴ)に勝てなかったようです。
結婚式をするときに
「夫婦は、どんな時にも助け合い、・・・し合い、・・・。」
というくだりがありますよね。
この
「どんな時にも」
が大切です。
「どんなに苦境に追い込まれようとも、大きな試練がおそってこようとも」
という意味です。

私は、もっと主人を大切にしなければいけなかったと思っています。

私が生還したら、主人のために、ごく当たり前のことを自然にしていきたいと思っています。

仕事についても、考えようと思っています。


◆編集後記◆

入院して2週間ぐらいしか立たないのに、本当にいろいろな本を読み、いろいろなことを考え、学びました。

今、土、日曜日は、一時帰宅をしています。
月曜日から入院して検査です。

お腹は張って苦しいのですが、あとは、いたって元気です。
仕事をしていたときより、ずっとです(苦笑)!



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posted by 女教師アミ at 23:28| Comment(2) | TrackBack(0) | 心と病気 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
今回のコラムを読んで、とても辛い痛みのなか、アミさんがここまでご自分を冷静に
分析していることが本当に素晴らしい…と、いたく感銘を受けました。

それと同時に、私が主に入院中後半に感じた何ともいえない、心の開放感、柔らかさをアミさんも感じていらっしゃるのだな…と思うと、胸にぐっとくるものがあります。

これからお話することは、一般論ではなく、
私の体験、経験からくるものであることをご理解ください。

日々の生活は修行のようなものであり、ともすると、心は硬くなり体も硬くなり、しいては心の閉塞感からじわじわとくる苦しみ、悩みが心身を蝕んでいくような感じがしたものです。

私の場合は急性でしたし、気がついたらベットの上にいましたので、あまり痛みというものを感じない方だったと思います。

これは、あくまでも私の体験から言えたことなのですが、病の痛みが突き刺すような激しい痛みではあるのですが、その先に小休止?のようなものもある、不継続な?痛みであるとするならば、心の痛みは、自分の心の持ち方によっては先の見えない、とことん自分を追いやってしまう(私の場合は、うつでした)ようなものだと、感じました。

私が今、自分自身にはっきりと言えることは、心の病と体の病を両方経験したことは、私のとって何物にも代えがたい、貴重な体験であったということです。

特に、心の病は身の置き場のない、病は心であるのに、身がが引きちぎられるような痛みでした。でも、体の病の時は、体がとても辛いこともあるのですが、自分自身の世界に入り、心が平和で、なんとも言えない大きな開放感があり、妙に覚醒し生き生きとしていたものです。

入院中から後半は、毎朝なのですが、緑あふれる森のなかで、静寂感あふれる空間にひとりたたずみ、そのなかで、かすかに差し込んでくる「光」を体いっぱいに浴びながら、安らぎを感じた気分で、目覚めたものです。

その「光」は、間違いなくサムシング・グレードからの贈り物であったと、今はそう確信しています。

私は、健康になりつつある今の方が、心をニュートラルに保つことは、とても難しいです。心には、すぐ邪念がやってきますから
(苦笑)

でも病は、私の凝り固まった心を、解きほぐし、開放してくれたものであったと確信しています。

だからこそ、だんだん生きやすく、本当の素の自分に初めてなれたような気がしています。
Posted by PEKO at 2009年09月27日 07:24
亜美さん

おはようございます。
入院 検査 自分にも

ごく最近あった(シジュツもついて)
ので、一応先輩

として、
大丈夫ですよ

としかいえないですが。
治療受けるときは
さすがに半端ではありません。

でも、一人じゃなかったから
一人で痛くても
大変そうな人はいっぱいいるわけで。

 で、思ったより元気だったりすると
直接会えた縁に感謝したり。

 なんて。
当事者でないと計り知れないこと
いっぱいいありますよね

それをこえられるかただから
亜美さんはメルマが出されるように
存在されてると思います。
Posted by kimura at 2009年09月27日 08:00
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